「ん……」

 

「空が……」

 

朔夜の口からは小さな唸り、俺の口からは呟きが零れた。

ついさっきまで晴れていた昼間の空に、急に暗雲が立ちこめてきて太陽を隠し、そればかりか

ここら辺一体の空が急に赤く染まり出したのだ。しかも、この赤さは明らかに夕日のそれではない。

黄昏時には、まだ早い筈だし、それに夕焼け空という物は赤というよりは橙色っぽく見える筈。

そもそも、太陽が暗雲に隠れたのならば夕日など見える筈はないだろうし

何より、この赤さは、まるで人間の血のような赤さだ。

そして、当たり前の事なのであろうが、周囲にいる領民達や大城兵達も空を見上げながら皆が皆

何事かと動揺を口にしている。

 

!?……何か大きく重い物が……それも人間のような二本の足で ゆっくりと歩いているかのような重い音……

さしずめ地響きと言うべきであろう不気味な音が響いてきた。

 

「なんだ、あの音は!?」

 

刑部の家臣の一人が、そう叫ぶのが聞こえた。その間にも地響きは、段々と大きくなってくる。

 

「来たか……」

 

俺の隣で朔耶が呟く。__そうか、やっぱり来たんだな……。

しかし、いつもの事だが、こんな時に よく そこまで冷静でいられるものだ。

何せ地響きが……あれが、足音だとしたら、その足音を立てている大きな物は

俺達のいる場所から、すぐ近くまで迫って来ているかのような大きさになっている。

流石に俺も、音が聞こえてくる方向の岩山に目を見やりながら思わずゴクリと鍔を飲み込んでしまった。

 

「……!!」

 

何か硬めで大きな物同士が ぶつかるような音……思わず目を見開いてしまう。

その直後、石同士が ぶつかりあう大きな甲高い音を数瞬のうちに何度も立てながら

俺が見やっていた岩山が崩れ去った。その崩れた岩山の向こうには__体躯だけ見れば人間のそれだが

見たところ背が十五尺はあり、当然ながら背に合わせて全体が釣り合うような大きさになっている……

そして、鉄というよりは石といったような質感の頑丈そうな古代の鎧兜に身を包んだ あの姿は正しく

この土地の 神の山に祀られてあった武神像……大魔神こと、阿羅羯磨だ。

いや……よく見ると石人形のようなノッペリとした顔だったのが、青黒く、そして

まるで彫の深い人間が憤怒したかのような形相に成り変わっている__文字通り御怒りになったか。

更に目を凝らして見ると、二の腕や手などの鎧に覆われていない箇所も青黒く変色し

石だった筈なのに、顔と同じく何やら生き物であるかのような質感を醸し出している。

神像として鎮座していた時は下半身が岩に埋まっていたんで解らなかったが

脚全体にまで鎧が施されていて、左腰に古代式の剣を佩いている。

 

「魔神だあっ!!」

 

男の誰かが、そう叫んだのが聞こえた。周囲からも、ここに集まった領民達の怯えの声が耳に入ってくる。

当の魔神はというと、重い足音を響かせながら、この刑場へ ゆっくりと迫ってくる。

 

それにしても……やはり、圧倒されてしまうものだな……気を抜くと脚が竦みそうになってしまう。

魔神は、大城刑部や大城兵達の方へ向っていっているため、この領民達が集まっている位置は

まだ安全なのだろうが、それでも、理屈では そうだと頭で解っていても

魔神の大きさ……それだけではなく、荒ぶり怒れる神なのだという

威圧感と神々しさが混ざり合ったような迫力が、身体を勝手に動揺させ

その身体に頭まで引っ張られそうになってしまうのだ。

おかげで、俺の顔が少し歪んできているのが神経を通して解る。隣を見てみれば、朔耶も

眉間に僅かに皺を寄せて、少しだけ開いた口からは噛み締めた歯を覗かせて

たぶん今の俺ほどではないだろうが、顔を僅かに歪めながら魔神の姿を見上げている。

朔耶といえども、あの魔神の迫力には多少なりとも圧倒されざるをえないようだ。

 

「う、撃てぇーっ!!撃たぬかあっ!!」

 

刑部の叫び声が聞こえ、声がした方を見やると、鉄砲を持った兵士達が前に出て

魔神に向けて鉄砲を構えた。ここから、兵士達の位置まで距離があるから、よく見えないが

多分、朔耶が使っているような長く弾が大きめな長射程の狭間筒ではなく

四尺弱で五匁弾あたりを打ち出す型の よくある鉄砲であろうな。

 

「っ……!!」

 

十人以上もの兵士が一人ずつ持った鉄砲が ほぼ一斉に赤白い火と白煙を噴き

その音が周囲に響き渡る……くっ、凄い音だ。反射的に手で耳を押さえながら顔を顰めてしまったぞ。

隣にいる朔耶が顔を僅かに背けた程度なのは、きっと銃猟師の端くれ として

日頃から、自分の狭間筒の音を筒が顔に密着する近さで聞いておるからなのであろうな、きっと。

大城兵達が使っているのは、やや短めで弾も少し小さめな分、火薬の量も少ないだろうから

一挺ずつの音は朔耶の狭間筒よりは大人しめなのだろうが、十人以上が固まって一斉にとなると

やはり、こうも凄まじい音となって当然か。

 

大城兵達はというと、最初に鉄砲を放った兵士達が後ろに下がり

すぐ後ろに控えていた兵達が代わって前に出て、やはり鉄砲を構えて魔神に向けて一斉に放ち

それから、また後ろの大城兵達が前に出て同じく鉄砲を魔神に放つ。

 

__くう!……それにしても、大城兵達が鉄砲を一斉に放つ度に、凄い音が響いてきおるわ。

耳と頭が痛くなりそうだ。

しかし、鉄砲が一斉に放たれたのと ほぼ同時に魔神の胸の辺りに薄く白い煙が断続的に立つのが見えて

堅い物同士が ぶつかって片方が弾かれているような音が何度か聞こえたが……

魔神は特に何ともない様子だし、おそらく鉄砲の弾を弾いたのだろう。

まあ、鉄砲ごときが魔神に通用する筈も無いか……音だけは、数の事もあって派手ではあるが。

 

大城兵達が放っては交代しというのを五回ほど繰り返したあたりで

魔神が近くまで迫って来たためであろうが、大城兵達は撃つのを止めて魔神に背を向け逃げ出し始めた。

 

「ええい、逃げるなあっ!!かかれいっ!!かからぬかぁあっ!!」

 

刑部が怒声をあげながら、逃げようとする兵の一人に駆け寄り その両肩を掴んで

身体を無理矢理に魔神の方に向けさせて強引に押し進めると、他の兵達も自棄になったかのように

今度は刀や槍を使って、魔神へ向って走りかかっていった。

 

無謀な……鉄砲の弾すら弾き返すような相手に、刀や槍が通用するわけがあるまい。

あれでは悪戯に犠牲者を出すだけだな。焦って冷静な判断が下せないと見える。

しかし、兵士達が明らかに無謀で無意味な命令を兵達がすぐに実行しているとなると

刑部め、領民は無給で扱き使ったりする癖に、配下の兵達には それなりの求心力があったのか。

大方、領民から搾取した財産を兵達には ある程度は気前良く褒美として与えていたのであろう。

しかし、兵達も立場上、主君の命令に背くわけにもいかないという面もあろうが

あんな無謀で自棄糞な命令に従って命を落としに行かねばならぬとは 気の毒な物だ。

俺は一生、素浪人の行商人擬きな儘でいるぞ、絶対に。

 

お……兵士の一人が、刀で魔神の左手の指先に切りかかりよったぞ。しかし、魔神には効いていないようで

その兵士は魔神が左腕を軽く前に振った程度で弾き飛ばされた。

 

今度は別の兵士が、後側から魔神の左手に掴みかかったが、やはり すぐに振り落とされてしまった。

 

むっ!?唐突に、魔神からすれば追い風で 大城兵達からすれば向かい風となる突風が吹き荒れた。

風に煽られた大城兵達が、体勢を崩して次々と倒れ込んだ。

俺と朔耶と その周囲の領民達も、前髪が乱れたり 烏帽子がずれたり吹き飛ばされたり

突風に煽られて転ばないように、前頭部あたりを手で押さえながら しゃがみ込んだ。

 

……風は、すぐに治まったか。しゃがむ際に下に向けた顔を少し上げて見る。

 

「うう……ああっ!……うぎゃぁああああああああああっっ!!!!」

 

おお………起き上がり損ねて逃げ遅れたのであろう兵士の一人が、絶叫を上げながら

魔神の足に下半身を踏み潰されておる……うっ!……魔神の足が完全に地面に着ききった時に

魔神の足下から血が大量に噴き出よった。

あの兵士の血と見て間違いないだろうが……あの兵士、死んだな確実に。

魔神が足を上げた跡には、赤い血溜りの中に潰れて罅割れた鎧と血に塗れた袴や草鞋……

その先には目を見開いて口から大量に血を吐き出しながら絶命した兵士の上半身。

兵士の体内から飛び出しつつ潰れたであろう内臓や骨が衣服や鎧に隔てられて、ここからは見えないのは

ある意味では幸いかのう……ともかく、あそこまで派手な光景は

主に殺しの類を生業とする武士といえども、あまり直視したくないものよ。

 

周囲の領民達も顔を背けたり 顔を歪めつつ青ざめさせておるが……隣の朔耶はというと

決して全く平然という訳ではないが、眉間に皺を寄せて目を細める程度しか表情に変化がない。

そういえば確か、朔耶が狭間筒を近い位置にいる相手に対して放って それが頭に命中した際には

撃たれた相手の頭が上下に千切れておった事が何度かあったような……やはり慣れておる方なのであろうな。

 

魔神が顔を刑部達の方に向けて彼奴らを見下ろす。当の刑部達は家臣や近くの兵士達と一緒に

魔神を見上げながら後ずさっている……動揺しているようだが、当然だろうな。

 

刑部の方へ ゆっくりと歩を進める魔神……刑部達は早足気味に数歩 後ずさり

そして、踵を返すと城の方へ向って駆け出した。元々は花田家の物だった城に逃げ込むつもりだな。

大城兵達も各々が悲鳴を上げながら、刑部の後に続いて城に向かって

文字通り逃げるようにして駆け出して行く。

 

む……刑部を追って緩慢な歩みを続ける魔神の進行先には、磔にされた昭貞殿が!

この戦乱の世に向いた領主たりえる人ではなさそうだったが

なかなかの良識を持つ領民思いの良い人であったのだが、あれで一巻を終わらさせられるのかの?

何より、今、昭貞殿に死なれたら、以前に二回も助けた事の礼金を貰えなくなってしまうのだが……

しかし、今から、あそこまで助けに行ったのでは、俺まで魔神に殺されかねぬし……

 

「ああっ!!……うう……おお」

 

魔神が自身の背と同じくらいの高さのある高い磔台を掴んで縛り付けられた昭貞殿ごと揺らし始めた。

昭貞殿が動揺している声が聞こえてくる。

 

「若殿っ!!」

 

昭貞殿の隣の磔台に縛り付けられた左京殿が叫ぶ。家臣として主君の身を案じての事だろうが

あの状態では、どうすることもできぬであろう。あ!……磔台が地面から抜けて昭貞殿もろとも倒れて……

 

「あぁあああっ!!!!」

 

!!……いや、背中側を下にして倒れたおかげで、地面に直接激突したのは磔台であって

昭貞殿は直接、身体を地面に打ち付けていないようだ。たぶん、大した怪我は負っておらぬだろう。

 

「運の良い男じゃ……」

 

朔耶が俺の隣で そう呟く。口元が少し緩んでいるように見えるが……たぶん俺と同じく

礼金を死によって踏み倒されずに済んだからという面もあるだろうが、彼女の場合は 冷徹なようで

人の良い奴を放っておききれないところと、昭貞殿みたいに 山の神霊や山林そのもの等に

心から畏敬の念を示す人に共感するところがあるからのう。

 

障害物を退かした魔神は、磔台ごと倒された昭貞殿には目もくれずに

城の城門へと逃げ込もうとする刑部や大城兵達の後をゆっくりと追って行った。

 

「花田様ぁあっ!!」

 

魔神が城の方に去って行くと、俺達の周囲の領民達が刑場の柵を通り抜けて昭貞殿に駆け寄り

彼を磔台に縛り付ける縄と解いていった。噂どおり、仁政によって慕われていたようだな 昭貞殿は。

 

……と、そうだ、俺達も こうしてばかりはいられぬ!魔神が、どう動くかによって

昭貞殿から礼金を貰うまで この地に留まるか、または礼金を諦めて逃げ出すかを決めねばならん。

 

「朔耶!」

 

「ん?」

 

「魔神の後を着けて、様子を見に行くぞ」

 

「そうか、わかった……行こう」

 

朔耶に話しかけ、すぐに返って来た返事を聞くと、俺達二人は小走りで

魔神から ある程度の距離を置いて その後を着けた。あまり近づきすぎると魔神に踏み潰されかねぬから

もし魔神が俺達の方に向かって来ても、すぐに逃げられるような距離で付かず離れずだ。

それに、大城兵達が魔神を迎え撃とうとしてくるかもしれんから

その攻撃に巻き込まれないようにするためでもある。

 

魔神の向こう側に目をやれば、坂を駆け上がって城門に走る込む刑部や兵士達の姿が見える。

 

「門を閉めろー!!」

 

「早く閉めるんだぁあ!!」

 

兵士の大半が城門を潜ったところで、そういう声が聞こえ、まだ外にいた兵士達は

慌てた様子で閉りつつある城門を押し開くかのようにして城内へと滑り込んだ。

 

兵士達全員が城門を潜り終えたところで門が閉められ、城門前の坂道の向かって右側の崖の上から何か

車らしき物が幾つか進むような音が聞こえた。その崖の上を見上げる__あれは……鉄砲と同じく

南蛮渡来の兵器だという仏狼機砲(ふらんきほう)か?いや、たぶん それで間違いなかろう。

崖の上で大城兵達が、車輪が取り付けられた数台の仏狼機砲を崖淵まで押し進め

砲口を下に向け……魔神へと狙いを定めたようだ。

 

「撃てぇえーっ!!撃てぇえええっ!!!!」

 

城門の向こう側から刑部の叫び声が聞こえた__まずい!!仏狼機砲を撃たせる気だろうが

このままでは俺達まで、砲弾の爆発で飛び散った破片に巻き込まれるかもしれぬ!!

 

「っ……下がれっ!!」

 

「わかっておる!!」

 

言いながら後ろに振り返り、俺の言に返事した朔耶と一緒に元来た道を数歩 駆け戻り

そこにあった岩の陰へと二人で身を伏せた。

 

っう!!……鉄砲の比ではない耳を劈くような轟音が何度か響き渡る……反射的に両目をきつく閉じながら

歯を食いしばって両手で両耳を塞いでしまう。

ぐうう……砲兵として慣れていない者でなければ、この音は きつ過ぎるぞ!

片目を少しだけ開けて隣の朔耶を見やると、彼女も俺と ほぼ同じく眉間に皺を深く寄せて

片目をきつく閉じ、もう片方の目を細めて、僅かに開いた口の端から食いしばった白い奥歯を覗かせている。

仏狼機砲の音ともなると、自分の狭間筒の音に慣れているであろう朔耶といえども、流石に応えるようだな。

 

その間にも大城兵達の仏狼機砲の轟音は続いているが、俺達が身を潜ませている岩陰までは

どうやら、破片が殆ど跳んできていないようだ__よし、岩陰から少し顔を出して様子を見てみるとするか。

おぉお……崖の上に一列に並んだ数台の仏狼機砲……ほぼ一斉に火と白煙を噴き

轟音を上げる その咆口……それに一瞬遅れて、城門へと進む魔神の身体や足下から

やはり轟音と共に吹き上がる僅かな爆炎と大量の白煙__砲弾の炸裂か………それが何度か繰り返される。

……ある意味、壮観やもしれぬな。

もっとも、魔神には全くと言っていい程に効いていない様子だが……。

 

「撃たぬかぁああっ!!」

 

城門の向こうの辺りから、また刑部の叫び声が聞こえた気がした。

仏狼機砲ですら魔神に中々 有効な打撃を与えれぬので、更に焦ってきていると見えるのう。

 

ともかく、刑部の指示によって、またもや崖の上の仏狼機砲が ほぼ一斉に撃ち出される。

またしても、砲自体を撃った際と弾が炸裂した際の轟音が何度も周囲に響き渡り、俺も朔耶も

思わず また顔を顰めた。本当に頭に響いてきおるわ、この凄すぎる音は。

 

改めて魔神の方に目をやれば、仏狼機砲が火と煙を噴き

魔神の身体や足下から爆炎と煙が勢い良く吹き上がって魔神の姿を隠し

そして煙が晴れると無傷なまま城門へと重い足音を響かせながら

ゆっくりと重々しく歩を進める魔神の姿が現れ、またもや轟音と共に

仏狼機砲から撃ち出された弾が炸裂すると、吹き上がった煙などによって魔神の姿が隠され

それが晴れると無傷な魔神の姿が現れる………そういう光景が何度か繰り返された。

その光景の意味について、俺から何か言えることがあるとすれば……南蛮渡来の最新兵器である筈の

仏狼機砲ですらも荒ぶり怒れる魔神の進撃を止めることは出来ずにいるということかの。

 

それはそうと、仏狼機砲の連続砲撃も虚しく、魔神は もう城門の すぐ前まで辿り着いた。

お?城門の屋根の上に設けられた櫓に鉄砲を持った数人の兵士が現れたぞ。

 

「早くしろぉおっ!!撃てぇえーっ!!撃て撃てぇええぇいっ!!!!」

 

一人だけ鉄砲を持たずに刀を持ちつつ是また一人だけ 着ている鎧に大袖の付いた、組頭と思わしき男が

刀を振り回しながら捲し立てるようにして兵士達に指示を出すと、兵士達は それぞれが持った鉄砲を

城門へと迫って行く魔神に向けて撃ちはじめた。

先程、鉄砲を遠くから撃った際には効かなかったが至近距離から撃ち込んだならば

効果があるかもと踏んだのかは知らぬが、なんと無謀な……やはり望みは薄いとわかっていながらも

命令されたから嫌々と仕方なくか?たぶん、そうであろうな。

 

「撃てぇえっ!!」

 

組頭らしき男が更に そう叫び、兵士達は順番に鉄砲を撃ち続けるが

当然ながら魔神には全く効いていない様子__む、魔神が右腕を振り上げ、そしてそれを

城門へと向けて勢い良く振り下ろした……櫓が崩れ、そこにいた兵士達が絶叫しながら下に落ちてゆく。

 

次いで魔神は、櫓が壊れた城門の屋根に両手を掛けて、そのまま両手を勢い良く上げて

屋根を門戸ごと前側に引っくり返した。

崩れ落ちる城門……バラバラになって飛び散る角材と瓦……近くにいた兵士の何人かは瓦礫の下敷きに

なってしまったであろうな。なかなか立派で堅牢そうな城門が魔神の両手によって

あっという間に粉砕されてしまった。魔神は更に、その瓦礫すらも踏み潰し或は押し退けて進む。

その魔神の向こう側には悲鳴を上げながら城の奥の方へと逃げて行く兵士達の姿が見える。

先程まで大城兵達が仏狼機砲を放つために陣取っていた崖の上へと目が行ったのだが、

そこには数台の仏狼機砲が置きっぱなしにされているだけで、兵士達の姿がなくなっていた。

おそらく、命令で城の内郭へと侵入した魔神を迎え撃つのに加勢しに行ったのであろうな。

もう、崖の上の仏狼機砲が放たれることもあるまい。魔神の後を着けるのを再開するとしよう。

 

「よし、行こう」

 

「ん」

 

俺が岩陰から出ながら朔耶を短く促すと、彼女は更に短く返事をしながら岩陰から出て、

改めて魔神の後を着けるべく、二人して軽く駆け出した。

 

仏狼機砲の砲撃で穴だらけになった坂道を朔耶と二人で駆け上がる。途中で穴の近くの盛り上がった土に

何度か足を取られそうになったが、二人とも何とか転んだり穴に落ちたりすることなく

崩壊した城門へと辿り着いた。

 

城の奥を見やると、足音を響かせながら内郭の建物の間を悠然と進んで行く魔神の後姿が見える……

俺と朔耶も、更に魔神の後を着けるべく、城門の瓦礫を乗り越えながら内郭へと足を踏み入れた。

大城兵達は、殆どが魔神の迎撃に向かうか、または勝手に逃亡したかのどちらかのようだし

仮に大城兵に見つかっても、この状況では誰も彼も魔神をどう対処すべきかしか頭になくて

俺達のことなど眼中にないかのように無視していくだろうし、もし

襲いかかってくる大城兵がいたとしても俺と朔耶なら、相手の人数が十人程度ならば

返り討ちにしてみせる自身があるから、特にコソコソする必要もあるまい。

 

おや?魔神が進んで行っている先に、兵士達が集まって何か作業をしているのが見えるが……

 

「早くしろ!」

 

「早くせいっ!」

 

「何を愚図愚図しておる!!」

 

兵士達の内、組頭と思わしき何人かの男が配下達に大声で捲し立てているのが、ここまで聞こえてくる。

魔神の身体越しに見たところ、大きな四本鈎が取り付けられた綱を

建物の柱や庭木に結び付けておるようだが………ははーん、なんとなく意図が読めてきたぞ。

 

「おーい!おぉーい、来たぞ!!来たぞぉおっ!!」

 

魔神が近くまで迫って来たことを確認した兵士が、そう叫ぶと兵士達は

道の両側の建物の軒下へと下がって行くか屋根の上に登るかして

そのうちの何人かが綱に取り付けられた四本鈎を持った。

 

「いよぉおりゃっ!!」

 

「そおりゃっ!!」

 

ん、右側の建物の軒下の兵士達が四本鈎を投げつけて、それが魔神の右手首や右足首に引っ掛かった。

 

「うぉりゃあっ!!」

 

「とぉりゃあっ!!」

 

次いで、左側の建物の軒下の兵士達が投げつけた綱付き四本鈎が魔神の左手首や左足首に引っ掛かった。

 

「そぉりゃぁあっ!!」

 

今度は、屋根の上の兵士達が投げつけたのは、魔神の首から肩にかけて巻き付くようにして引っ掛かった。

ここからは後姿しか見えないが、魔神の頭が

首に綱付き鈎を引っ掛けてきた 屋根の上の兵士達の方へと向いたので、そっちに顔を向けたのだろう。

そして、案の定、兵士達は魔神の身体に引っ掛けた四本鈎に繋がった綱をみんなで引っぱりはじめた。

やっぱり、絡めとるつもりであったか。

大方、大人数で引っ張れば歩みを止めれるやもしれぬと踏んだのであろうが……む、魔神が

屋根の上の兵士達に向けていた顔をまた正面に向けて歩み出した。

 

「う、あぁあああああっ!!!!」

 

ああ、屋根の上の兵士達が逆に引っ張られて、悲鳴を上げながら 屋根から引きずり落とされてしまったぞ。

軒下側の兵士達も、何事も無いかのように歩を進める魔神に、綱ごと引き摺られはじめておる。

あ、魔神の左足首に引っ掛かっていた綱付き四本鈎が勢い良く外れて、それが建物の柱に引っ掛かり

その柱が折れ、建物全体が崩れ落ちた……城門の時もそうだったが、沢山の瓦が地面に落ちて

割れる際の甲高い音は、かなり耳障りなものだ。

 

兵士達も悲鳴を上げながら逃げ出しはじめたが、やっぱり、人力で引っ張った程度で

あの魔神が止まるわけがないだろうが……あれも命令で止むなくか。

少しだけ、あの兵士達が不憫に思えてきたな。

 

おおお、今度は、綱を結びつけていた柱が

魔神と魔神に引っ掛かった四本鈎付きの綱に引っ張られて折れ、その柱が支えていた建物が崩壊した。

あっちは__別の綱が繋がれていた庭木が、土を押し上げて地中から根っ子ごと抜けて倒れ

倒れた先にあった建物の上に倒れ込み、その建物を倒壊させた。

その間に、魔神の四肢に引っ掛かっていた四本鈎は全て外れて残ったのは

首に引っ掛かっている物だけとなったが……う、魔神が その四本鈎を自らの右手で外して

それを適当な建物に向かって投げつけたぞ__瓦が割れる甲高い耳障りな音と ともに

四本鈎が その建物の屋根に減り込み、建物の屋根全体が崩れ落ちた。

 

周囲を瓦礫に変えて……というか、さしずめ周囲の瓦礫化を誘発させて、と言った方が

正しいのかもしれぬが………倒壊する建物、抜け倒れる庭木、悲鳴を上げながら逃げ惑う兵士達と

それを蹴散らしながら建物だった筈の瓦礫の間を悠々と進む魔神……地獄絵、という程ではないのかもしれぬが

それでも相当に凄まじい光景だな。

 

とりあえず、俺達は、小走っては止まり、時折少し後退しては また進みという行為を繰り返して

魔神の後を着け続ける。幸いにも、さっき崩れた建物の殆どが直接 下側に崩れたことと

魔神が道の真中の瓦礫を足で蹴散らして行ったため、瓦礫の殆どは道の両辺に集中していて

道の真中には瓦礫が殆ど無かったため、特に難儀することなく進むことが出来た。

 

「待て、内匠」

 

「ん、どうした?」

 

後ろから朔耶に肩を掴まれながら呼び止められた。

足を止めて、振り向きながら彼女に応えつつ、短く尋ねる。何かあったのか?

 

「妙に、焦げ臭くはないか?」

 

「なに?……ん、そう言えば確かに……」

 

朔耶の言ってきた通り、焦げ臭い……というよりは、木材が大量に燃えているような臭気が漂ってくる。

そういえば、火が燃えるような音と多数の車らしき物が進むような音も聞こえてくるような……

周囲を見回して確認してみる……ん、魔神ごしに見える高い土塁の上に……

 

「あっ!あれだ!!」

 

「ぅん……火の車?」

 

俺が土塁の上を指差しながら叫ぶと、隣に立つ朔耶は その土塁の上を見て呟いた。

土塁の上には、燃え盛る大量の薪が積まれた荷車が多数……朔耶も言っていたが

文字通り、火の車というやつだな。車の後ろには多数の大城兵達の姿も見える。

その大城兵達が、土塁の上にから火の着いた荷車を押し出すと、当然ながら、荷車は

急斜面となっている土塁を勢い良く駆け下りていく。

その反対側の土塁の上にも目をやると、やはり その上にも多数の火着き荷車と兵士達が……

そして、そちらの兵士達も火着き荷車を押して土塁を駆け下ろさせる。

すると、調度 下の平地……魔神の、その大きさからして十歩ほど先になるであろう位置で

御互いに反対側の土塁から駆け下りてきた火着き荷車と ぶつかりあって動きが止まった。

何やら、ぶつかり合った荷車が、ほぼ横一列に並んだような止まり方だが………道の奥の方へも目をやると

奥からも兵士達が火着き荷車を押して走ってくる。その兵士達は

先程から横一列のように並んで炎上している荷車の鳥渡した隙間を埋めるような位置に

自分達が押してきた火着き荷車を止めると、それを置いたまま

また、元来た方向へと逃げるようにして駆け出して行った。

 

改めて、積んだ薪ごと燃え盛る多数の荷車を見やってみると

多数のそれが道を塞いでしまっている__ふむ……なるほど。あれで魔神の進行を防ごうというわけか。

道を塞ぎ、炎と大量の煙を上げながら炎上する多数の荷車によって作り出された炎の防壁。

木材が燃える時特有の臭気は おろか、熱気までもが此処まで伝わってきそうな程に激しく燃えておるのう。

魔神の方はというと、右手を顔の前あたりに持っていった……石のような身体をしていても

熱さは感じるのであろうか?……と、思ったら、左手も顔の前あたりに持ってきて

それから両手を一気に開くようにして振り下ろすと、あれだけ激しく燃え盛っていた荷車の炎が

真中あたりから左右へ掻き分けられるようにして、一瞬で全て消え去ってしまった。

 

「あ……」

 

「おぉ……」

 

この自体を目の当たりにして、思わず声が漏れてしまう。

これには朔耶も些か驚きはしたようで、俺の隣で彼女も小さくかつ短く声をあげた。

単純な力だけではなく、あんな事まで してのけるとは……あれが魔神の神通力というやつか。

 

魔神ごしに道の奥の方を見やると、大城兵達が悲鳴を上げながら散り散りになって逃げて行く。

しかも、さっきまでは逃げ出す際も、ある程度は纏まって逃げ出していたのにも関わらず

今度のは正に壊乱といってもいい程に、一人一人が ほぼ別々の方向へと逃げて行く。

どうやら、万策尽きて、最早、魔神を迎え撃つための手立てが無くなったと見えるのう。

 

火が消えた荷車を蹴飛ばし、押し退け蹴散らして進む魔神。

俺達も止めていた足を進めて、また後を着ける。荷車へ近づくと、ついさっき火が消えたばかりなためか

触れると火傷しそうな程の熱気を感じるけど、先程の建物の瓦礫の時と同じく

魔神が荷車を蹴散らして行ったため、焼け焦げた荷車は道の辺によっており

道の真中は広めに開いているため、態々 火傷覚悟で荷車を退かさずとも、ここの道を進むことができた。

 

尚も二人で魔神の後を着けて行くと、背の高い建物が建ち並んだ区画に入り込むこと となった。

ここは……この城の本丸であろうか?

 

「おああっ……」

 

?……前側、つまり魔神の進行方向から男の声が聞こえてきたので、反射的に そちらに目が行く。

見れば、魔神の足ごしに、素襖姿な中年の男__大城刑部が、魔神を見上げながら怯えたように

一人で佇んでいた。大方、魔神がさっきの 大量の荷車で作った炎の防壁を消し去ってしまった際の

兵士達の壊乱で全ての将兵が皆、刑部を見捨てて我先にと逃げ仰せてしまって、

彼自身を護るための人員が一人も いなくなってしまったため、領主ともあろう者が

一人だけで逃げ回ざるをえなくなってしまったのであろうな。

 

「ひ……う、あぁあああ!!」

 

今まで見せてきた不敵そうだった態度が嘘のような悲鳴をあげながら、近くの櫓の中に逃げ込む刑部。

魔神は どちらかというと緩慢に動いておるのだから

足下の脇を一気に駆け抜けるとかすれば良いものを……命取りな……櫓を壊されるか

引き摺り出されるかするのがオチであろうに。まあ、人間 焦ると冷静な判断が出来なくなるものだし

今の刑部の置かれた状況からすれば仕方がないことなのであろうかな。

その刑部が逃げ込んだ櫓に、魔神が ゆっくりと歩み寄って行く。

魔神は櫓の手前で立ち止まると、右手を櫓の二階の窓の辺りの高さまで上げ

その手で櫓の窓を突き破り、そのまま櫓内へと侵入させた__ふむ、刑部を引き摺り出すつもりか。

む、左手も斜め側から櫓内に入れたて……今度は両手を櫓から抜き出しはじめた。

 

「うぎやぁあああっ!!うう……ぐっ……うわぎゃあああ!!」

 

魔神が櫓から抜き出した左手に、やはり引き摺り出されたのであろう刑部が掴まれておる……

む、魔神が身体をこちらに向けて……こっちに向かって歩いてきおった!!

まずい……俺達も逃げ出さねば危険だ!!

 

「まずい、退くんだ!!」

 

「っ……!」

 

身体ごと後ろに振り返りながら、朔耶に促すと彼女も すぐに身体ごと後ろに振り返って駆け出した。

俺もすぐに駆け出して、朔耶と一緒に元来た道を引き返す。

 

火の消えた荷車があった場所を越え……そして、絡めとる筈の綱付き四本鈎が

逆に引き摺られたりして倒壊した建物の瓦礫のあたりで、向こう側から来る三つの人影が見えた。

 

「あ……おお、内匠殿ー!!」

 

人影の一人である男が、俺の名前を呼びながら こっちに向かって駆けて来た。

あれは……昭貞殿に左京殿に彩殿ではないか。領民達に助けられたり魔神の山から降りたりした後に

避難でもしたものであろうと思っていたのだが……やはり彼等も魔神の様子を見にきたのだろうか?

 

「危なかろう!何をしに来た!?」

 

「魔神が、こっちに向かってきておるのだ!!」

 

「えっ!?」

 

何時になく苛立たしげに言う朔耶に続くようにして、俺が言うと

昭貞殿は驚いたように声をあげ、あとの二人も驚いたような表情をして三人で顔を見合わせた。

 

「うぎぐっ……ぎっ……うわわ……ひい!!」

 

!!……地響きのような重い大きくなってくると共に

中年の男が もがいているかのような声まで聞こえてきた。後ろを振り向くと

案の定、刑部を左手に掴んだ魔神が俺達の方に向かって迫りつつあった。

 

「いかん……皆、隠れろ!!」

 

朔耶が そう言うや否や、言い出した朔耶も含めて 皆それぞれが道の辺の瓦礫の陰へと身を潜めた。

俺もすぐに手近な瓦礫の陰に身を隠す。

 

「ぎやああ!……うわぁあ……ひっ!……だはああ!」

 

もがきながら ちと だらしなさそうな声をあげる刑部を掴んだ魔神は

瓦礫の陰に隠れた俺達には全く目もくれず、重苦しいような足音を響かせながら道を進み

俺達が隠れていた瓦礫の近くを通り過ぎて行った。

 

とりあえず、瓦礫の陰から頭を出して魔神の様子を確認してみると、魔神は自身と同じくらいの高さのある

折れた太い柱へと歩み寄って行き、その手前で足を止めると、左手に掴んだ刑部の

その背中が柱に当たるようにして、彼の身体を柱に押し付けた。

ん?腰の剣に右手をかけて……その剣を引き抜いた。もう片方の手で鞘を押さえずに抜くなんて器用だな。

__剣、であるからには俺や最近の武士達が使っている刀とは違って両刃で反りがなく

刀身が真直ぐになっている。

 

「うひぃえああっ!」

 

刑部の怯えたような声が聞こえてくる。魔神が刑部に向けて右手の剣を振り上げたのだ。

そして……魔神は、その剣を刑部の胸へ一気に振り下ろした……。

 

「うぎぁぁああああああああああああああああっ!!!!」

 

周囲に響き渡る刑部の断末魔の絶叫……それが収まると、先程まで もがくためであろう激しく動いていた

刑部の頭と四肢が、力が抜けたかのように垂れ下がって動かなくなった__死んだか。

魔神が刑部の屍から剣を引き抜くと、そこから大量の血が一瞬だけ勢い良く噴き出して

刑部の身体を押さえつけていた魔神の左手を赤く染めた。そして、その左手を刑部の屍から離すと

刑部の屍は前のめりになるようにして下に落ちた。

 

魔神は、そこから一歩下がると向きを変えて、さっき自ら崩した城門の方へと歩き出した。

内郭から出る気のようだな……。とりあえず、ここは もう安全だろう。

隠れるのをやめて、瓦礫の陰から道へと出る。俺に続くようにして朔耶に昭貞殿と左京殿と彩殿も

瓦礫の陰から道へと出て俺の側に歩みより、俺と同じく魔神の方を向く。

魔神は既に崩れた城門を越えて坂道を下って行っていた。

 

「若殿!町へ出したら大変な事になります!!」

 

「うむ、急げ!!」

 

「はっ!!」

 

俺の側で、左京殿が昭貞殿に対して言ったことに

当の昭貞殿は それを肯定する返事をしてから左京殿を促し

左京殿が それに対して短く力強い返事をすると、彩殿も一緒に三人で城門の方へと駆けて行った。

 

「………あっ!!俺達の荷牛車と荷物も危ないっ!!」

 

そういえば俺達の荷牛車と行商用の商品とかは、ここの城下町の旅籠に預けたままだったではないか!!

はやく何とかせねば、それまで 魔神に旅籠もろとも潰されてしまう!!